VTRyo Blog

一歩ずつ前に進むブログ

SIerのSESからWeb系エンジニアに転職したら楽しくて仕方がない世界が待っていた

これは#しがないラジオ Advent Calendar 2018、16日目の記事です。

2018年は、しがないラジオを皮切りに多くの人との出会いがあった。
この記事ではSIerのSESをしていた頃を振り返りつつ、今年のしがない生活の感謝をしがないラジオ関係者に伝えたい。

SIerのSESへようこそ(2015年~2016年末)

僕は2015年に大学を卒業して社会人になった。その会社は当時創立3年目の自称ベンチャー企業。

聞くに、僕はその会社の新卒内定者1号だった。*1

僕は喜んだ。

初めてその企業を訪問したとき、僕はすでに就活戦争に疲れていた。何社も不採用になり、やりたいことがわからなくなっていた。

というのも、それまで僕が受けていた業界はさまざまある。

  • 人材業界(エージェント候補)
  • ジュエリー業界(販売会社)
  • 塾業界(先生候補)
  • IT業界(おまけ)

当時、IT業界がどうとかではなくて、とにかくベンチャー企業という場所に行きたかったのだ。上記の業界でもみんなベンチャー企業を名乗っているところばかりだったと思う。

単に、”ベンチャー企業=自由度が高い、若手も活躍できる”

という安易な考えがそうさせた。実際に活躍できる若手は大学時代からしっかり実務や知識を蓄えている人だということを知らなかった。

僕にはIT業界で活躍するような実務はもちろん知識もなかった。

知識がないから、安心してしまった。

"未経験者歓迎"の甘い言葉に。

閉じた世界

内定獲得後、入社までの間にCCNAを取得した。といっても、卒業する手前の2月と3月をちょろっと勉強して取得しただけで、実務のネットワークのことはよくわからない。

入社後は2週間でLPIC1を取得した。

このあたりの資格については「取得しないと仕事が始まらない」と言われたため頑張って取得した。

qiita.com

資格取得と並列して行われていた1ヶ月の人格否定型洗脳研修を終え、すっかりお客様第一主義に生まれ変わった僕はさっそく客先との初回打ち合わせへと向かう。

心臓を捧げることに躊躇いがなくなった僕にとって、客先に受け入れてもらうことは実に容易なことだった。*2

最初の案件は半年の常駐。*3

その次の案件も半年。*4

さらに次の案件は常駐先から派遣され、ここは4ヶ月*5*6

最後も4ヶ月常駐*7

この1年と8ヶ月の間、僕は外の世界を一切知らなかった。
まず、会社と家と本社以外に行く場所なんてほぼなかった。

仕事帰りに飲みに行くこともない。とにかく家に帰りたい。常駐先には常に単独派遣されていたから、近い歳の友人もいない。

プロパーの若手が楽しそうに昼ごはんを食べているのが、いつも羨ましかった。社食を食べられる人を横目に、僕は安い給料の中、泣く泣く高いランチを取りに外へ出る。

しがないサラリーマンってのはこういうやつのことをいうんだなあ

なんて、冴えないサラリーマンが出てくるドラマを想起して染みた。

終電帰りも徹夜も、弱音を吐けば「今どきの若いものは」と陰口を叩かれる。

みんなやっているんだから仕方ない

弱音を吐いた僕が悪い。
みんな我慢しているし、我慢できている。

「仕事が楽しくないから楽しい仕事がしたい?そんなこといって、君は社会人失格だね」

子どもの誕生日に、プレゼントをかばんに潜ませたまま徹夜コースになった人がそう言ってた。

社会人は楽しくない仕事を我慢してやっていくものらしい。何年も何年もやっていく。僕は学生気分が抜けてないそうだ。

当たり前に我慢できることができない僕が、社会人失格なのだ。

仕事が楽しくないからやめるなんてのは、忍耐が足りない。
楽しくないという気持ちは頑張って抑えた。

そうしたらいつの間にか弱音を吐く元気もなくなっていて、ようやく、僕は社会人になった。

閉じる世界

社会人になった僕はどんなことにも耐えられると思っていた。
常駐先での仕事が終わってからは本社の仕事をしていたし、会社が開く帰社日*8にも参加していた。

辞めようかと考えていたこともあったけれど、当時は本社での仕事も途中だったので「その仕事が終わったらまた考えよう」なんて思っていた。

よく働きよく首を縦にふる僕は本社からも評価は良かった。

と、思っていたのは僕だけだった。 どうやら裏で幹部たちが陰口を言っていたことをひょんなことから知る。*9

「あの子、なんだかんだ弱いからねえ」
「最近の若者は〜」

これで完全に糸が切れたのを覚えている。

よくよく考えればおかしかった。

給料は都内で一人暮らしできるほどの額はもらえなかったし、謎の圧力に業務効率化は阻まれるし、きっとその先のキャリアも自分の意思では築けない。営業が取ってきた謎案件に、タイミングがあったからという理由だけで突っ込まれるだけのキャリアになる。

そういう現実が当時の僕にはあったのに、僕はその現実が自分にとって良くないものだということに気づいていなかった。

僕は自分と同い年*10や同じ職種*11の人がどんな生活を送っていて、どんなキャリアを築いていて、どんな技術スタックを学んでいるのか知らなかった。

けれど、僕のSES生活は幕を閉じる。

僕はようやく目が覚めた。

Web系エンジニアへようこそ(2017年~)

開く世界

転職した。

もちろん内定を取ってから退職願を出した。当時にexitという退職代行があったらどんなに良かっただろうと思うくらいアレな最後だったけど。

僕が転職したのはWeb系サービスを扱う受託会社。けれど自社開発もやっていた。

そこにインフラエンジニア(クラウド)として雇われた。
あくまでポテンシャル採用だった僕は転職後、ようやく思い知った。

「あ、前職ってキャリアになること全然してなかったんだ」

それからWebに関することも全然知らなかった。
肉体的・精神的な限度を考慮したとき一刻も早く会社を辞めるしかなく、結果的にノー勉でも転職せざるをえなかった。故に、何のスキルも持っていない*12

こいつはやべー。せめてトレンディな技術は知っておかねばと思った僕は、入門系の勉強会というやつに行くことにした。

記念すべきはじめての勉強会は「Docker入門」だった。

それまで勉強会なんて行けたことがなかったのでビルに入るのも緊張した。人と会うの怖いし、絶対ぼっちになる。

自分が登壇するわけでもないのに嗚咽をしながら参加した。

驚いたのは、20代くらいの人がたくさんいた。
都内にこんな若いエンジニアがこんなにいたのかよ。

最後にあった懇親会は、さっそくぼっちになってメンタルが死を迎えたのでそそくさと帰った。

初回だしまあこんなもんよと言い聞かせつつ、けれどもよい時間だとも思った。

今までにない体験だった。社外の人が仕事を終えて精力的に勉強をしている。
こんな素敵な世界観があったのかと思う。

僕にはWeb技術を知っていくという目的があったので、その後もいろんな入門系に参加した。
広く浅く、どんな技術がどんなものに使われているのかを知っていった。

そこで気づいた。

「これくらいだったら自分にも話せるのでは」

というかansibleのよさみをインフラじゃない人にも伝えたかったんだ。

サーバサイドだってインフラやるはずだし、僕のような素人でも「ansibleはいいぞ!」って言ったっていいじゃないか!なんて思ってたら、いつのまにか登壇の約束を取り付けていた。

ハードルは思ったよりなかった。

僕が好きなものを語るだけであって、誰かの役に立とうとか、誰かに知見を授けようとか、そんな崇高な思いはなかったからだ。

その後も約2ヶ月に一度のペースで登壇していった。

6月くらいから始めたから、2017年末で5回程度はやっていた気がする。

もうその頃には登壇慣れしてしまっていて、人前で話すことはすっかりなんとも思わなくなっていた。

懇親会でもぼっちにならない。ものすごい進歩だった。

とある日の登壇後、ひとりの人に言われたことがある。

「SESのあの闇の話、ブログにしたらきっと誰かの役に立ちますよ」

その日、SES時代とWebへ転職後の環境比較をした5分程度のLTで会場がとても盛り上がったのだ。

懇親会でも「僕もSIerだったんですよ!」とか「わかるぅ。わかるよわかる」とかそういうフィードバックをたくさんもらった。 僕はそれまで不幸自慢だと思って隠していたものが、しかるべき場所や話し方、スライドの演出など、アウトプットの方法を変えれば全く違う捉え方をしてもらうことができるんだと知った。

その後、放流しても毒にならない程度に薄めてから、僕は転職 Advent Calender 2017に投稿したのだった。

blog.vtryo.me

しがないラジオ

出会う

年末、 Advent Calenderを終えた後にTwitterをみていると、友人がとあるツイートをしていた。*13

その内容こそ、しがないラジオAdvent Calendar 2017の話だった。

adventar.org

「SIerのSEからWeb系エンジニアに転職したんだが楽しくして仕方がないラジオおおおお俺のことじゃん!!」

僕は思わず声を上げてしまった。

そのAdvent Calendarにあった記事を読んでいくと、こんな記事があった。

webdesign-manga.com

え?E?江?エ?出られるの?ラジオに?

ラジオって何?ナウオンエアなの?

当時、僕はPodcastのことをよく知らなかった。Itunesで過去放送のラジオが聞けたりする、iPhoneに最初から入ってる謎のアプリくらいにしか認識していない。
普通のラジオも聴くことはほとんどなかった僕にとって、Podcastもラジオも全く想像がつかないものだった。

けれど、確かに僕は、しがないラジオに共感するポイントがタイトルからある。

出たいと心の底から沸き上がる気持ち。
でもラジオなんてよくわからない。自分なんかが出て良いのだろうか?

そんな感情が何度も行ったり来たりした。ただ、その行ったり来たりした時間というのは、実際はほんの数秒程度のことだった。

気がつけば、先に指先が勝手に。

そうだ、僕はしがないライフを送っている。毎日楽しい。ちゃんと人間として生きている!

ならば出たって良いじゃないか、にんげんだもの。

何度も登壇したおかげで、話すこと自体には全く躊躇いはない。
話す場所が人前じゃなくてマイクの前になるだけだ。

だったら、できるはずだ。

しがないラジオに出演したら人生が変わったんだが?(2018年〜)

年があけて2018年。今だに「あれ収録したのって何年の何月だっけ?」と忘れてしまう。

しがないラジオに出演したのは、2018年。まだ今年のことなのだ。

blog.vtryo.me

実はTwitterのユーザ名を変更した

しがないラジオに出演するとき、僕のTwitterユーザ名は「ii」という実に適当な名前にしていた。
というのも当時宣伝などはFacebookにしていて、Twitterはリアルと紐づける気はなかった。

ただ、僕は出演が決まったときに直感した。

「しがないラジオはきっと僕にとって大きな転機になる」

「ここで変えなかったらずっとこの名前でやってかなきゃいけなくなる!」

こうして、しがないラジオの台本記入中にゲスト名も変えてもらった。

VTRyo

ここで初めて名乗った気がする。
ブログ用のドメインをvtryo.meで取っていたので、そのまま名前にしてしまった。

たいていは名前をとってドメイン名にするという流れだと思うけれど、僕はドメインの方が先だった。

VTR250という愛車と、Ryoという名前を合わせている。
だから、正確な呼び名は「リョウ」で問題ない。

しがないラジオゲスト出演

出演により、たくさんの人からフィードバックをもらった。

Podcastという媒体を通すことで「聴きたい人だけが聴く」という状態になり、闇寄りの話でも受け入れてくれた人が多かったように見える。

このたくさんのフィードバックに合わせて、フォロワーさんとも徐々に絡むようになった。

フィードバックを自信に、キャリア系の登壇もぐっと増やした。その登壇を聞いてくれた方とのつながりやフィードバックを受けて、転職という行為が自己実現への近道のひとつなんじゃないかと考えるようになった。

こうして、しがないラジオ出演は僕にとっての転機となった。

広がる世界(現在)

結局、僕の直感は正しかった。
しがないラジオをきっかけに、Twitterやオフラインを介してつながりが増えていく。それも今までにないペースで。

しがないラジオに出会ってTwitterをリアルと紐づけた
その結果、自分を知ってくれる人が増えた
その結果、フィードバックを受けやすくなった
その結果、さらにあちこちで活動するようになった
その結果、たくさんの人と出会った
その結果、自分の得意なことや好きなことがわかってきた
その結果、なんでも一回やってみようという精神になった
その結果、チャンスが広がった。行動はさらなるチャンスをもたらす
その結果、自分のやりたいと思うことでチャンスをもらいやすくなった。

SESで狭い世界に閉じ込められていた僕にとって、このオープンワールドは本当に楽しいものだった。

Twitter経由で飲み会もするようになった。今までならSNSで出会った人と躊躇なくオフ会するなんて考えられなかったはずだ。

iwasiman.hatenablog.com *14

世界は知っているよりももっと広くて自由。その一歩を踏み出したのは確かに自分だった。けれども、その一歩を加速させてくれたのはしがないラジオだ。

発信することの大切さ・楽しさを教えてくれたのはしがないラジオだ。
嫌がらせを受けてもやめたりしなかった。発信はきっと誰かに届くと信じて続けられた。

あのPodcastに出なければ、闇のSESの存在もネタだと思われたままだったかも知れない。

共感した人同士で手をとって始まった転職LTもなかったかもしれない。

blog.vtryo.me

iwasiman.hatenablog.com

今いる場所の闇が深くて、前も後ろもわからずただ働いている人もいるかもしれない。
社会は怖いものだと不安になっている学生もいるかもしれない。業界を知らなくて望んでいない場所へ就職してしまう人もいるかもしれない。

そういう人を救う可能性が発信にはあるのだ。

「楽しく生きて何が悪い。楽しく働いて何が悪い」

しがないラジオには「仕事は我慢と忍耐をもってするものだ」なんてくだらない価値観の押し付けをする人間を黙らせる力がある。

僕は自分の意思でやってきた。楽しい世界に。
楽しい世界は、ここに限ったことじゃない。

楽しい世界は、あなたが楽しいと思うことをやればいいだけだ。 あなたが知らないだけで、みんな楽しく生きている。楽しんでいいのだと知っている。

あとは、その一歩を始めるかどうかだけ。

しがないラジオはそんな、楽しく生きている人・一歩を踏み出した人の人生が聞けるPodcastだ。

一歩踏み出せていない人の、一歩だけ先を歩いている人のエピソードがたくさん詰まっている。

もし迷っている方、この機会に再生ボタンを押すと良い。
通勤時間、休憩時間、家事の時間、どんなときでもこと聴くができる。

もし誰かに会ってみたいならTwitterでつぶやけばいい。

"テレビのような名前"の人がどこからともなく現れて、いいねをつけてくれるだろう。そのいいねに呼応して、誰かがその機会をくれるかもしれない。

しがないラジオはどんな人も拒まない。
もし迷っているなら手を伸ばしてみよう。

しがないラジオ界隈の住人は、いつでも楽しい世界で待っている。

しがないラジオ界隈に飛び込む

shiganai.org

blog.vtryo.me

blog.vtryo.me

  • 転職の仕方

booth.pm

iwasiman.hatenablog.com

  • アウトプットのハードルを下げる

booth.pm

*15

*1:縁故による新卒はいたらしい

*2:俗に言う面談。事前面談で客先が合格・不合格を出すなどの判定をするのは違法です

*3:途中で睡眠障害で入院したりして契約解除

*4:救急車。肺炎で2週間入院。なお退院後案件に復帰した

*5:常駐先が派遣をするのは違法です

*6:9:00~33:00などの勤務や週休1日になり精神科へGO

*7:退職を切り出して終了

*8:ドナドナした社員を月に一度強制招集し、飲み会をする日

*9:その陰口を僕と仲の良い社員に垂れていたというのだから実にレベルが低い

*10:当時24歳

*11:インフラエンジニア

*12:それでも給料は爆上した。大卒と同じくらいの給料になった。元々大卒なのに

*13:そのツイートは現在ありません

*14:このときちゃっかり、かろてんとも出会っている

*15:脚注多くてごめんなさい^^